わが髪の歴史

コラムニストの泉麻人さんの登場です。泉さんの髪型の変遷に、懐かしさを覚える方も多いのでは?
泉麻人【いずみ・あさと】
1956年東京都出身。慶応大学商学部卒業。学生時代は広告研究会に所属し、1979年に東京ニュース通信社に入社。「週刊テレビガイド」「ビデオコレクション」の編集に携わりながら、「ポパイ」「オリーブ」などの雑誌に原稿を書き始める。1985年からは、フリーのコラムニストとして幅広く活躍している。著書は「泉麻人のコラム缶」(新潮文庫)「大東京バス案内」(実業之日本社)「通勤快毒」(講談社文庫)など多数。
 
イラスト わが髪型の歴史、について語りたい。
 生まれて初めて、流行(はやり)のヘアスタイルにトライしたのは小学1、2年生の頃だった。時代は昭和三十年代の終盤、当時花形スターだった舟木一夫の 髪型をマネたことがあった。俗に“舟木クンカット”と呼ばれたそれは、坊ちゃん刈りの前髪の左端を半月型にくりぬいた…独特のスタイルのもので、大ファン だった僕は母親の反対を押し切って、通いつけのタカハシという床屋でハサミを入れてもらったことをぼんやりと覚えている。古い写真に当時の姿が何点か記録 されているが、学校での評判はあまり覚えていない。
 小学校の高学年の頃から、ビートルズや GSの影響で、僕よりちょっと上の世代では長髪がブームになった。が、僕らが長髪に目覚めたのはもう少し後、中学に上がってからである。但し、校則が厳し かったから、ひと握りの不良を除いて大方の生徒は“若干長めの前髪の先が耳に被さる”程度の中途半端なロン毛だった。そんな弱気なロン毛でフォークギター をかき鳴らし、吉田拓郎の「結婚しようよ」を唄ったことが想い出される。♪ボクの髪が肩まで伸びて~の詞に憧れた。
 高校時代にはディープ・パープルみたいな本格的な“長髪ロッカー派”もいたけれど、軟派学生のトレンドは“コールドパーマ”というやつ。尤(もっと)も 我が校はツッパリ(ヤンキー)係数の低い環境だったから、巻きがきついパンチの方向へはいかず、ソフトにウェーブを効かせた、当時のジャニーズ系アイドル のスタイルが主流だった。デビュー早々の郷ひろみや井上純一…あたりがモデルである。
 そんな髪型にしていた高三のとき、悲しい出来事が起こった。学校帰りに寄った雀荘で補導されて、体育会(サッカー部)に入っていた僕は部則で“坊主刈り ”の命が下った。通常の丸刈りならまだしも、選んだ床屋が悪かった。理髪師は菅原文太の大ファンで、気づいたときには側頭の頂きが逆三角形気味にカッティ ングされた、いわゆる角刈りに仕上げられていたのだった。ちょうどそれが卒業アルバムの撮影時期で、ジャニーズ頭の生徒の中に僕だけ“板前の兄ちゃん”っ て佇(たたず)まいで映りこんでいる。
 その後、多少サーファー調になったり、テクノカットに触発されてモミアゲを短めにした時期もあったが、決まったヘアサロンに通い始めたこの二十年来は、 概ねスタイルは変わっていない。仕事場のある代官山界隈の“B”という店に、ふた月に一度ほどのペースで通い続けている。そこに行くようになった80年代 のなかば、「冗談画報」という深夜番組の司会を始めた。五年くらい続けたフジテレビの番組だが、これを最近CSのチャンネルで再放送している。先日久しぶ りにちょこっと観たら、当時の我が姿にがく然とした。概ね変わっていない…と言ったが、肌のツヤ、ハリ、そして髪のボリュームが一見してまるで違う。
 なるほど、歳月が流れたのだから当たり前のことだ。あの頃の姿に戻りたい、とは思わないけれど、そんな懐かしい映像を眺めながら、次の二十年は髪型より質量の推奨に努めよう…と心を固めた。